学生相談室長からのメッセージ

「頭を撫でないカウンセラー」

 この度、前任の髙橋先生から学生相談室長を引き継ぐことになりました、心理学部の大崎園生(おおさきそのお)と申します。よろしくお願いいたします。
 短歌をひとつ、皆さんにご紹介したいと思います。

おばさんが私を心配しています頭を撫でる男はやめろ

 この短歌は穂村弘「短歌ください 明日でイエスは2010才篇」に納められた、28歳の女性の短歌です。私がこの短歌を知ったのは、NHKのラジオ番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」でした。高橋源一郎さんはこの短歌をよんで、「私は頭を撫でない」と言っていました。頭を撫でるような男になってはいけない、というのです。「?」という感じでしょう。でもひょっとしたら女子学生さんのなかには、「わかるわかる!」という人もいるのかもしれません。
 頭を撫でるという行為は一般的には、大人が子どもに対してする「よしよし」の仕草ですね。「いい子いい子」という、大人側から子どもに対する愛情表現、可愛がり表現であり、言語ではなくスキンシップで表現されるものです。子どもがペットロボットに初めて遭遇したときには、まず頭を撫でるところから接触がはじまることが多いとされていますが、これは子どもが普段、自分が親にしてもらっていることを対象に対してしているということになります。では男が女性の頭を撫でる、という行為にはどのような意味合いがあるのでしょうか。
 男性が女性の頭を撫でるという行為は、男性側が一方的に二人の関係を「大人-子ども」のようなものとして規定するものでもあると言うことができるかもしれません。保護し可愛がる対象として女性を規定している、ということです。それを言葉によって話し合うのではなく、スキンシップという身体・情動的チャンネルを使ってしているということになります。一方女性の側からすると、頭を撫でられることによって体験される情動の源に、親に可愛がられたという原初的な記憶があるわけです。頭を撫でてくる男との関係に、自分の親との関係の原初的な感覚と情動が再現される。だから嬉しさもあるし、一方で撫でられないことの不安、自分が相手によって左右されるという不安、甘えと自立の葛藤なども同時に喚起されることになるのです。これは非常に危うい。この関係が続いていくと、男に左右され自分を見失うことになりかねないのです。穂村さんはこの短歌へ、「一見優しいようでいて、女を主体的な存在として見ていない、ってことでしょうか」とコメントしています。頭を撫でて一見可愛がってくれるように見えながら、関係を自分が支配しようとする男とは付きあうのをやめるべきだというのがおばさんの主張ですが、そんな男によろめいてしまいそうなこの女性に対しての親心も、表現されているのでしょう。
 人は精神的に辛いときにはつい、「よしよし」してくれる相手によろめいてしまうものです。それは男性でも女性でも変わらない。そして、カウンセリングではカウンセラーは頭を撫でません。訓練を受けたカウンセラーは、関係が支配的になる危うさをよく知っているからです。カウンセリングは慰撫や「よしよし」してもらうところではなく、自分の人生を主体的に生きたいと思っていることを支えていくところです。主体性というと「自分にはそんなものは無い」と思う人もいるかもしれません。でも実は自分の主体性に、自分で気づけていないことも多いのです。話を聞いてもらっているうちに、本当は自分はこう思っていたんだ、こうしたかったんだと気づくことがあります。それは主体である自分への気づきですね。何より、相談に行くということ自体、自分で自分を助けようとする主体性の表れと言ってもいいでしょう。私たち学生相談室のスタッフは、対等な立ち位置で、その主体としての学生の皆さんに向き合っていきたいと思います。だから、私たちは頭を撫でません。敬意をもって、皆さんの話に耳を傾けています。