追究

2015年12月08日

愛知淑徳学園創立110周年・愛知淑徳大学開設40周年記念行事 文学部主催 「地球のステージ」

愛知淑徳学園創立110周年・愛知淑徳大学開設40周年記念行事 文学部主催 「地球のステージ」

平成27年10月16日(金) 長久手キャンパス741教室

笑顔の素晴らしさ、人間の強さ、命の尊さ。
そのすべてがつまった「地球のステージ」開演。

 10月16日(金)、愛知淑徳学園創立110周年・愛知淑徳大学創立40周年を記念し、長久手キャンパス741教室で文学部主催の講演会が開催されました。お招きしたのは、NPO法人 地球のステージ代表理事の桑山紀彦氏。講演会では、世界中で戦争や災害の被害にあった人々の心のケアをしてきた桑山氏の経験を、歌や映像とともに語っていただきました。今回はその様子を、ストーリーを追いながらご紹介します。

オープニング

 オープニングでは、世界五大大陸の山々と美しい自然の姿がスクリーンに映し出され、桑山氏の意識が海外へと向き始めたきっかけについて語られました。そのきっかけとは、20歳の時に初めて訪れたインドで、エベレストを見たこと。その景色が「年に数回も見ることができないという素晴らしい景色だ」と地元の人から教わったことから、「世界五大大陸の一番高い山を見る」という目標を掲げ、資金集めのためのアルバイトに打ち込んだ桑山氏。その後、順調に世界をまわり、最後の大陸となった南アメリカ大陸でその景色を見た時に感じたのは、感動ではなく、切ないような寂しいような気持ちだったといいます。桑山氏は、「きっと一生懸命打ち込む何かがなくなってしまったことが寂しかったんだと思います。ここから、目標を持つ大切さ、素晴らしさを知りました」と語り、何かに向って努力することの大切さを学生たちに訴えていました。

フィリピン・マニラ

 次の舞台はフィリピン・マニラです。医師として働き始めたばかりの桑山氏にとって、国際協力の道に進むきっかけとなった大きな出会いがありました。物乞いをしてきた少女・ロエナスに風船をあげたことがきっかけで彼女の家に行くことになった桑山氏は、そこで目に病気を持ったロエナスの祖母に目薬をプレゼントします。するとロエナスの祖母は大粒の涙を流して何度も「サラマーッ、サラマーッ(ありがとう)」と述べたのです。その言葉を聞いた桑山氏は、世界を旅しているに時にたくさんの人々に助けてもらったことを思い出し、彼らに恩返しをしようと決意しました。そして桑山氏は、「ゴミ山が大好きになった」といいます。「それは、ゴミ山で暮らすたくさんの子どもたちの笑顔を見つけたから。子どもたちは、たとえばタイヤがないバイクについても、切り株をみつけて、工夫して、乗れるように修理してしまう。彼らの笑顔には、今ある状況を受け入れ、その上でより良い暮らしをするための方策を見つける創造力がつまっているのです」。

パレスチナ 前編・後編

 桑山氏の活動の場は、パレスチナのガザ地区・ラファへ。この章では、紛争で心に傷を負った子どもたちのサポートについて語られました。心理的ケアとして桑山氏が取り組んでいるのは、創造活動です。その段階は、「絵を描くこと(二次元的表現)」→「粘土工作(三次元的表現)」→「演劇(四次元的表現)」と進んでいきます。たとえばガザ紛争が起こった翌年・2009年の夏には子どもたちに空爆をテーマに絵を描いてもらいました。この創作活動を通じて、子どもたちに現実を少しずつ受け入れてもらうのです。モハマッドという少年は最初は黒いクレヨンだけで絵を描き上げましたが、少しずつ色が増えていったといいます。たくさんの子どもたちに寄り添う中で桑山氏が驚くのは「子どもたちの気持ちの切り替えの速さ」。「子どもの笑顔を見て元気になるのは、大人の中に眠っている子ども時代の自分が刺激されるから。だから、自分も頑張らないといけないと思うのではないでしょうか」と子どもの持つパワーについて語りました

 桑山氏の話は、心理的ケアの一環として取り組んでいる「映画制作」にもおよびました。パレスチナ・ガザ地区で制作した映画の主人公は、2歳の時に母親を殺され、それ以来、「母=最期の姿」というイメージを持つ少女・ファラッハ。子どもたちが力を合わせて暗号を読み解き、5つの石のかけらを集め、最後に天から響くファラッハの母親の声を聴くという筋書きです。天からファラッハの母親の声が聴こえることは、ファラッハには内緒。撮影ではじめて自分の身を案じる母の声を聞いたファラッハは、撮影後、「お母さんの声を聞いて、強くなることができた」と胸を張りました。桑山氏はこのエピソードを披露し、映画制作を通じて悲しい記憶を消化させ、本当の愛の記憶を思い出すことができる、子どもたちの強さと、創造活動による心のケアの可能性を伝えました。

東北・宮城

 場面は変わり、時は2011年3月11日。東日本を大津波が襲った日、桑山氏は公演のため埼玉におり、11日の夜、急いで名取へ戻りました。病院と地球のステージ事務局のまわりは津波が押し寄せましたが、幸い被害は少なく、スタッフも無事だったので、翌日からの2ヶ月間病院を開け続けました。治療にあたる中、桑山氏は子どもたちの心のケアも始めます。はじめは津波でなくなってしまった街のジオラマを粘土で製作、2年目はがれきで楽器をつくってみんなで演奏し、3年目は映画制作に着手。物語の中では実際に子どもを亡くした母親が子どもたちに命の尊さを説くシーンが盛り込まれています。「命を大切に、生まれてきた喜びを、生きることの素晴らしさを忘れないでね」。母親の発した胸に迫るセリフに会場は感動の涙に包まれ、学生一人ひとりが彼女の思いをしっかりと受け止めました。

 桑山氏は自分自身が世界中で経験した5つの物語を披露した後、「たくさんの話を皆さんにしましたが、これから先、皆さん自身が主人公の人生をしっかりと歩んでいってください」とメッセージを発信。人間の持つ底知れないパワーと命のきらめきを感じられる1時間40分の講演会は、学生たちにとって、一瞬一瞬を大切に生きることの大切さをあらためて思い出させる、すばらしい時間となりました。