トークセッション「ぼくが人間を書こうと思うとき」イベントレポート

 7月12日(金)、ミニシアターにてドリアン助川氏と本学の非常勤講師藤井誠二氏のトークセッションが開催されました。
 1時間半にわたる講演の前半は、2015年に映画化され、第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門でオープニング上映された助川氏の著作『あん』の執筆にまつわるエピソードを。後半は藤井先生とのトークセッションと質疑応答コーナーとなりました。

 助川氏は『あん』という作品を、1996年に「らい予防法」が廃止されたことがきっかけとなって構想したそうですが、それ以外にも、自身の色覚異常で就職活動に難航した経験や、ベルリンの壁崩壊時に特派員として現地に赴いたこと、幼くして亡くなられた知人のお子さんの話、パンクバンド「叫ぶ詩人の会」の活動を経てラジオ番組をもったことなどが関わっているといいます。ラジオ番組の企画で「生きている意味はあるのか?」との問いかけに「社会の役に立たなければ生きている意味はない」と答える10代の若者たちに衝撃を受け、「人間として生まれたからには何か意味はあるはずだ」と強く感じたそうです。
 ハンセン病について書くことに決めてからも長い葛藤があったといいます。当事者の手記や記録などの資料を読むたびに、そのあまりの壮絶さに心を折られ、患者でない自分が書くことはおこがましいことなのではないのか、との思いから、なかなか書き進めることができませんでした。
 その気持ちを切り替えることになったのは、いちど渡米し、帰国後に別のバンド活動をしていた時でした。不登校の子どもたちを支援する施設での公演に、ハンセン病療養所からのお客さんが数名来ていて、助川氏はそこで初めて当事者と出会います。長年温め続けていた作品があると語った助川氏に、元患者である方々は「患者と会わず、療養所に一度も行かずには書けないだろう」と療養所に誘ってくださったそうです。そうして訪れたハンセン病療養所「多磨全生園」で、差別の歴史や所内での暮らしぶり、患者たちがお菓子作りをしていたエピソードなどを知り、小説『あん』のヒントになりました。
 作品を書き終えたのちも、予定していた出版社に最終稿を提出してから出版を断られるなどの苦労がありましたが、2013年にようやく単行本を出版することができます。着想から約15年、3年の執筆期間を経て書き上げられた小説はすぐさま話題となり、NHKのラジオドラマ化、そして2015年には映画化もされ、カンヌ映画祭をはじめ世界中で上映されました。

 後半のトークセッションでは、「ノンフィクション」を書くルポライターの藤井先生と、「フィクション」を書く小説家である助川氏の、取材対象への向き合い方の違いなど興味深い話を聞くことができました。お二人と、今回の企画のコーディネーターである非常勤講師の劉永昇先生は同じ高校の先輩・後輩の関係ということで、学校での話も交えつつ和やかな空気でセッションは始まりました。
 ルポライターであれば、あるテーマを定めて本を書くとすれば当事者に取材をしに行くのが基本なのだと藤井先生は語りました。完全に他者として対象を見つめ、当事者自身さえも知らない面を見つけ出すことが取材なのだと。対する助川氏は対象への共感、感情移入をする面が強く、当事者の語りを己がことのように感じてしまうといいます。ハンセン病の資料をあたっているときのつらさ、苦しみが強く、また実際に元患者の方々を前にして自分がどう動けるのかという不安や自信のなさから、なかなか当事者への直接取材に踏み切れなかったという当時の心境をお話されました。
 まったく真逆の視点で仕事に取り組むお二人ですが、著作を通して、今まで顧みられてこなかったものごとを伝え、別の視点を加えることで、新たな世界を読者に示そうとするという部分は共通しているように思えました。
 藤井先生は著書『沖縄アンダーグラウンド』にも触れ、取材によって見慣れた沖縄の風景がまったく違ったものに見えてきたという体験を語られていました。
 こういった綿密な取材によって書き上げられたルポなどを資料として、ときに自ら取材に向かうことで、今まで自分の中になかった視点を得るということは、研究するにも創作するにも重要だと感じられる講演でした。