式辞

2019年度 卒業生に贈ることば

本来ならば3月17日、国際会議場の大ホールの式典で、皆さんの卒業を盛大に祝うはずでした。いうまでもなく、その日を華やいだ気持ちでもっとも心待ちにしていたのは皆さんだったと思います。しかし、折からの新型コロナウイルスの問題が、卒業式さらには学位記授与式にまで及んでしまいました。集団感染を防がなければならぬという状況判断によって、皆さんの晴れの式典がすべて中止となりました。皆さんの心中を想像すると、学長として、まことに痛恨のきわみというほかはありません。むろん、皆さんの学習や研究、学生生活を指導し、支援したすべての教職員も胸を痛めていると思います。また、大学生活最後の式典に臨む皆さんの晴姿を、一目見たいと思っておられた保護者の方々もさぞかし落胆されたものと思っております。

とはいえ、歎いていても何も始まりません。これから、ほとんどの皆さんは実社会という新しい世界に旅立って行きます。このような状況下で、旅立つ皆さんに贈ることばを私はさまざまに考えてみました。以前、皆さん向けて学内誌に書いたことがありますが、もう一度それに触れてようと決めました。昭和の時代、土門拳という優れた写真家がおりました。
ことに私は土門の肖像写真が気に入っていて、今でも彼の『風貌』という写真集を眺めることがあります。明治生まれの小説家、画家、俳優、研究者、政治家などのポートレートを一冊にまとめた写真集です。土門拳の写真の特徴は徹底したリアリズムにあります。例えば、楽屋で化粧直しをする美しい名女優の肖像写真には、あろうことか、はなみずが垂れているのです。あるいは、巨匠と言われた洋画家の写真には、近寄りがたい傲慢の相が鮮明に浮き出ているのです。つまり、土門はきれい事や作り事を排して、その人物のリアルな実在感を印画紙の上にとどめようとしたといえます。

この土門拳に「肖像写真について」という面白いエッセイがあります。肖像写真とは何かということを素人にもわかりやすく書いた文章です。これを私は30歳を過ぎてから読んだのですが、そうか、と膝を打ち、非常に励まされた一節がそこにはありました。

本人が欠点と思っているところが、実は案外、唯一の魅力だったりする。

私にも、若さに特有の自意識によって過剰な劣等感や歪んだ優越感にがんじがらめになっていた時代があります。おそらく皆さんにも覚えがあるでしょう。とりわけ若い劣等感は苦しいものです。自分の容姿から始まって性格にいたるまでイヤでイヤで仕方がないと思ったり、そこまでは行かなくとも、ありのままの自分を素直に受け入れられないといった苦しみです。しかし、リアリズムの写真家は、そんな劣等感を一笑に付しているのです。

本人が欠点と思っているところが、実は案外、唯一の魅力だったりする――意外感にあふれた、しかし生きる勇気を与えてくれることばだと思います。おそらく土門拳は『風貌』にまとめられた知名人たちの肖像写真の撮影を通して、そういう人たちですら劣等感を抱いており、劣ると自覚するところを隠そうとする姿を見て来たのでしょう。しかし、それが土門の見た彼らの魅力でもあることが多かったのだと思われます。自己評価はしばしばリアルな客観性を失ってしまうということもあるわけです。

新しい世界を生きていく上で、まだ未熟で経験の浅い皆さんはつらい目に遭ったり、苦しい環境に置かれることもあるかも知れません。いや、きっとあるでしょう。そのあげく、欠点だらけじゃないか、と自分自身をおとしめたり、劣等感に陥ったりすることもあるでしょう。そういうときに、どうか土門拳のことばを思い出してください。欠点が魅力であることが多いのです。そういう自分を受け入れ、自愛の念をはぐくみ、しなやかで豊かな大人に成長していってください。心から祈念してやみません。

令和2年3月17日

学長 島田 修三