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式辞

学園創立100周年記念祝典 理事長式辞

 愛知淑徳学園100周年記念祝典を開催いたしましたところ、ご来賓の皆様、海外の提携大学・高校の皆様、地域社会の皆様、そして、学園に関係する皆様、多数お運びくださり誠にありがとうございます。また、ご来賓および海外提携校の皆様におかれましてはお祝いの玉稿を賜りましたことを心より御礼申しあげます。


  本学園が、明治38年創立以来、戦前・戦中・戦後の幾多の困難な時代を経て、発展的に100周年を迎えることができますのは、それぞれの時代に光り輝く存在になろうと夢を追い懸命に青春を送っていた生徒・学生の皆さん、そうした生徒・学生達を厳しくしかし心温かく育てようとしていた教職員の皆さん、お子様の成長をいとおしくたのもしく見守っておられたご父母の皆さん、学園を心のふるさとと思っていてくださる同窓生の皆さん、そして、いつの時代も学園を支えてくださった地域社会の皆様のおかげであります。
 100周年にあたり、そうした全ての人たちに心よりの感謝と御礼を申しあげたいと存じます。  


  明治38年、愛知県には女学校が愛知県立・名古屋市立・豊橋町立と3校しかなく、進学したくとも進学できない子女が多数いたという社会事情の中、本学園は愛知淑徳女学校として誕生し、翌年文部省より高等女学校として認可され、愛知県最初の私学の高等女学校として歩み始めました。
 当時、女子教育は家事と裁縫で充分だ、とする風潮の中、創立者小林清作先生は「教育家が時代の動向を察知せず、その日暮らしの教育をしたらば人の子をそこなう」と述べられ、理科と英語を必須科目として取り入れられました。
 また、おしとやかで深窓佳人が女学生の美人像であった中、美人観の革命をとなえ、「顔に壮健の色が漲り、均整に発達した肢体を有する者こそ、これからの美人である」として女子体育を奨励されました。当時は社会の理解も充分ではなく、女学生が素足で運動をしていると県議会で問題にされたほどでした。
 創立者のこうした時代の動向に敏感な進取の気象にあふれた教育は「10年先20年先に役立つ人造り」として受け継がれていき、中学・高等学校・大学と総合学園となった今も「伝統は立ち止まらない」本学園の姿勢として生きています。


  本学園には長い歴史の中で生まれた精神・心があります。昭和3年、本学園は校舎が東新町から池下へと移築しました。文字通りの移築で、東新町にあった木造校舎を分解し、池下に運び、もとのように組み立て直しました。それも夏休みの40日間という間に、業者だけでなく、生徒・教職員・卒業生・ご父母の皆様の一致協力の中で移築が成し遂げられました。
 借地であった東新町の校地からの立ち退きを迫られ、財政的余裕がない中で、自前の校地を獲得し、学園をあげての移築を見事に成し遂げたのです。
 創立者は「学校にはその学校の魂があるはずであります・・・(中略)・・・私はおぼろげながらその魂を意識しておったが、昨年の夏、淑徳をこの池下に移転したるとき、はっきりとこれを認めえたと思う」と述べられ、困難に際してもくじけることなく「頑張る」という精神が淑徳魂だとされました。
 その後、この「頑張る」という精神に、創立以来、愛知淑徳の教育の柱としてきた「陰徳(人が見ていようがいまいが徳をほどこす)」が加わり、淑徳魂として、今に継承されています。
 現在は、今の学生・生徒にわかり易いように、「頑張る」とは「強さ」であり、「陰徳」とは「やさしさ」であるとおきかえ、「やさしさだけでは生きていけない、強いだけでは生きていく資格がない」と言われるとおり、「強さとやさしさを合わせ持つ」ことの大切さを教育の柱としています。


  本学園100周年のキャッチコピーは、在学生の作品「100年の昨日が、明日になる」です。これは一日一日と積み上げられてきた100年の歴史と伝統が明日の第一歩につながるのだ、という過去への感謝と、これからも一日一日を大切に進んでいくのだ、という未来の決意を表しています。
 100周年という記念すべき年に在る学園の生徒・学生、教職員一同は、100年という昨日に思いを馳せ、感謝しつつ、「伝統は立ち止まらない」精神でこれからも一日一日を誠実に歩み、「強さとやさしさを合わせ持ち」自分らしく光り輝ける人生をまっとうできる人材の育成に取り組んでまいりますので、今後とも宜しくご指導の程お願い申しあげます。

平成17年10月29日

愛 知 淑 徳 学 園

理事長 小林 素文