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レポート

南十字星のもとでの結婚式

招待状内側  8年前、愛知淑徳高校の姉妹校でオーストラリアメルボルンにあるセントキャサリン高校からの留学生、フェリシティーをホストファミリーとしてあずかった。
フェリシティーは帰国後、オーストラリアの名門メルボルン大学を優秀な成績で卒業し、三菱重工に就職し、再び名古屋にきた。
フェリシティーのお父さんは、公認会計士でトヨタ系企業を含む日本企業のオーストラリアでのアドバイザーも引き受けており、名古屋にもよくこられた。時には夫婦でこられることもあり、その折々にご一緒する機会があり、家族同士のつき合いとなっていった。
フェリシティーと同年の私の娘が、メルボルンのモナッシュ大学へ短期留学した折には、お父さん・お母さんには大変お世話になった。
フェリシティーは日本が大好きで、日本の白いご飯などは、それだけを(何のおかずもなしに)食べるのが好きな娘で、日本での充実した社会人生活を送っていた。
ところが、ボーイフレンドのピーターが、ドイツの会社に就職が決まり、止むなく、日本を去りドイツに移り住むこととなった。
優秀なエンジニアであり、日本語も堪能なフェリシティーは、ドイツに移り住んでほどなく、ドイツ日産に職を得た。
二人が落ち着いたところで、結婚を決意し、結婚式と披露宴の招待状が、フェリシティーのお父さん・お母さんから私達夫婦宛てに届いた。

招待状の表紙 招待状にあるように、結婚式は5月7日オーストラリアメルボルンのご自宅で、披露宴は近くのレストランとある。
丁度、日本の連休の終りにもあたるので、夫婦で出席することとした。
招待状の表には、デイビッド・ビスコット(David Viscott)のことばが引用されていた。

「愛し愛されるとは、お互いが光を与え、お互いがその光を感じ合うこと」とでも意訳できよう。確かに愛し合っているカップルは光り輝いており、よいことばだと感心する。一方、二人が共に太陽なんだと、おおらかに言い切っているところは、日本でいわれる「夫婦はお互い空気のようなもの、普段は気にしないがないと困る」とか、新婦がよく言う「信じてついていきます」とのコントラストも感じる。


 メルボルンは、シドニーにつぐ、人口370万人の大都会。しかし、ガーデンシティといわれる通り、緑が多く、様々の移民を受け入れてきたコスモポリタンな街。
エコノミスト・インテリジェンス・ユニットの調査によると「世界で最も住みたい街」のトップの座をカナダのバンクーバーといつも競っている素敵な街メルボルンの5月は秋。

 結婚式の前日、メルボルンを散策する。
上空から見れば英国国旗ユニオンジャックを摸しているといわれるフィッツロイ公園で一休み。


 世界遺産であるメルボルン王立博物館とカールトン庭園

 コスモポリタンな街は食事も豊富。昼は横浜の中華街と似たチャイナタウンで、味が評判のシャークフィンハウスで中華料理。ワゴンで運んでくる様々の小鉢をいくつかとり食するのが、店の名の通り、シャークフィン(ふかひれ)スープは、実においしかった。(値段も昼はリーズナブル)

 夜は、オージービーフは実はうまいんだよと、教えていただいた肉専門店ヴラドー(Vlado)へ。小さな店だが、壁には有名人来店の写真。その中に、日本の女優 池内淳子さん一行も飾ってある。
メニューは、肉のコース料理一つだけ。選べるのもメインの肉の種類、大きさと焼き具合だけ。どの大きさを選んでも値段は一緒。なのに、私達夫妻は小さいサイズしか選べず、「Are you sure?」と聞かれたが、充分すぎる程充分。値段もリーズナブルで評判どおりの味。
食の街、メルボルンを大いに楽しんだ。


 結婚式当日は、朝起きると外は雨。しかし、昼には雨もあがり、43階のホテルの部屋からは、きれいな虹が見られ、二人のこれからの幸せを象徴しているようだ。
3時30分からの結婚式に、早めにタクシーで、ご自宅に伺う。
玄関には白いリボンが。

 大きなご自宅に並べられた椅子。

 お父さんが、早速迎えてくれ、忙しい中、ウェディングドレスを着たばかりのフェリシティーに会わせてくれたり、家族の一人一人を紹介してくれたり、さらにはお父さんが「秘密の基地」というご自慢の地下のワインセラーを案内してくれる。

 やがて、ホームウェディングがはじまる。
隣の部屋の楽隊のトリオによる結婚行進曲の演奏。

お父さんとフェリシティーの入場

背広姿の牧師のもと、式は進行。
ウェディングリングの交換

つきそいの親友と2人のお姉さんも幸せそう

式が10分ほどで終ったあと、
庭へ出る二人へライスシャワー

ライスをとってあげる花婿

幸せそうな二人

お父さん・お母さんと花嫁・花婿

フェリシティーの家族の集合。
右側のおばあさんの嬉しそうなこと。

ガーデンパーティ

お庭でのシャンパンパーティのあと、歩いて近くのレストランへ。
エレクトーンの演奏のもと、まずはレストランロビーでのドリンク。

 披露宴は、花嫁花婿到着とともにレストランに入り、決められた席につく。
私達の席はお父さんお母さんの隣。身内扱いをしてくれたと感謝をする。

メニュー

メニュー

 このメニューのデザインが、招待状と同じなので、たずねてみると、フェリシティーのお姉さんの一人がデザインしたものとのこと。ホームウェディングそして、手作りの案内状、家族のあたたかさを感じさせる。
このメニューにはないが、ワイン通のお父さんのこと、二種類の素晴らしいワインが用意されていた。残念ながら、私はワインのことはよくわからないが、皆おいしいおいしいと絶賛をしていた。
お父さんに銘柄をかいてもらうと、「Grant Burge Meshach 1998 Shiraz」とのこと。
披露宴は皆飲んで食べて賑やかに進んでいく。

新郎新婦と・・・ 新郎新婦と
お父さんお母さんと お父さんお母さんと

 愛知淑徳高校出身者も招待されていた。

 高校卒業後、愛知淑徳大学現代社会学部を卒業し、二級建築士・インテリアデザイナーとしても活躍している松本さん。(写真左)

高校を卒業後、名城大学薬学部を卒業し、現在名古屋市立大学附属病院で活躍中の木村さん。(写真右)


 愛知淑徳の卒業生が社会で活躍しており、こうした場でも堂々とふるまっていたのが嬉しく誇りに思う。

 やがて、宴もたけなわ。
花嫁の父のスピーチ
  きてくれた人たちへのお礼にはじまり、フェリシティーが生まれてからの様々のエピソードを30分にわたり、語る。いつも陽気なお父さんらしく、笑いに包まれた話ながら、娘への愛と親の情をしみじみと感じさせる素晴らしいスピーチだった。

 次に花婿の親友のスピーチ
 ジョークをまじえて明るく花婿ピーターのエピソードを語り、ピーターの人柄とフェリシティーにメロメロぶりを5分ほど披露。

 そして、最後に花婿ピーターのスピーチ
お礼とともに二人のなれそめを10分ほど語る。
メルボルン大学の新入生を学内紹介する係であった当時2年生のピーターは、新入生のフェリシティーにすぐに引きつけられ、ガイドを終った後、早速に携帯番号とメールアドレスを聞き出し、つきあいはじめたとのこと。
メルボルン大学ではフェリシティーがいたからこそ素晴らしかった。フェリシティーなしのメルボルンは考えられないと堂々とおのろけが続く。そういえば、フェリシティーが我が家でホームスティしていた高校生の頃は、理学療法士になるといっていたのに、結局、ピーターと同じ工学部に進んだのは、きっとフェリシティーもピーターなしの大学生活は考えられなかったからだろうとにんまりする。
ピーターは、最後に二人の現在を語り、今はドイツで仕事をしている、これからアメリカあるいはアジアで仕事をするかもしれないが、最後はメルボルンにもどってきたいと語ると、フェリシティーのお母さんは一人大拍手。
そういえば、お母さんと日本で食事をしたとき、フェリシティーの上のお姉さんはロンドンでオペラ歌手、下のお姉さんはイタリアでデザイナー、フェリシティーまで日本来てしまい、寂しくてしかたがないと妻に話していたのを思い出す。
万国共通の母の思いが大きな拍手としてあたたかく響く。

 続いてケーキカット

 披露宴の催しはこれで終り。
コーヒーとデザートがでて、皆食べ終わったころ、終宴の挨拶もなく三三五五、花嫁・花婿、お父さん・お母さんにお礼を述べ帰っていく。

 我々夫婦もあいさつをし、お店にタクシーを呼んでもらい、ホテルへと戻る。15分ほどで戻ると11時を過ぎていた。
3時半の式から、7時間以上の式と宴であったが、あっという間に感ずる。


 ホテルの部屋のあかりを消し、カーテンをあけると、出発するとき虹のかかっていた空は、星空となっていた。
オーストラリアの国旗にもなっている南十字星。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の終着駅、南十字星。
日本では見られらない全天八十八星座の中、一番小さな星座 南十字星。
そのひかえめな輝きが国をこえ、生きとし生きるものの幸を祈っているように思えた。