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レポート

蓮の国、ベトナム

 9月17日から2日間、ベトナムの首都ハノイで「第1回日越学長会議」を行うので、ベトナムの大学と何らの関係がある大学は参加してもらいたいと、私立大学協会を通じて文部科学省から要請があり、参加することとする。
 本学は、ホーチミン市にある国立社会科学人文大学と姉妹提携を結んでおり、そのヴォ・ヴァン・セン学長には、昨年本学大学院で講演をしていただき、その折学長室に表敬訪問いただいた。その御礼と姉妹大学とその周辺の環境の視察を目的として、まずはホーチミン市を訪れることとする。


ベトナム航空機 平成21年9月13日、蓮の花がロゴマークのベトナム航空で名古屋を出発。
約5時間後、ハノイ到着。そこで乗換え、ホーチミン市へ向かう。
ハノイは人口約340万人の首都。ホーチミンは人口600万人をこえる商都。そこを結ぶ飛行機はジャンボクラスの大きなもので1時間間隔で飛んでいる。

両都市間は列車でも結ばれているが、30時間以上かかる。それで今、日本の新幹線がハノイ・ホーチミン市間1730キロ(約青森〜鹿児島の距離)に敷設する計画がある。完成すれば6時間で結ばれるとのこと。完成予定は2033年、4半世紀先のことである。

 ホーチミン到着後ホテルへ向かう。夜10時にも関わらず、道路はバイクがあふれている。バイクの群れの中、警笛を鳴らしつつ車は走る。
17年前、南京師範大学と友好提携の可能性を見いだすため訪れた南京市で、自転車の洪水の中、クラクションを鳴らしっぱなしでホテルに向かったのを思い出す。


翌朝9時30分、ちょうどサバティカルで現地を訪れているベトナム出身の本学のブイ教授と待ち合わせ、姉妹大学へと向かう。
途中バイクの洪水は昨晩と変わらない。同行してくれた姉妹大学のスタッフのジョークは一流である。
「我が国は共産党一党だけの社会主義国家だが、ことバイクにかけては世界一のフリーカントリー(自由の国)です。」
なるほど、バイクが自由自在に、時には反対車線を、あるいは桁外れに大きな荷物を積んで我が物顔に走っている。

バイク荷物のせたバイク

大学に着くと、吹抜けのロビーで、学生達が音楽にあわせて踊っていたり、パソコンをしていたりする。

踊る学生パソコンを使う学生

学長授業風景早速にキャンパスツアー。
まずは講義中の学長訪問。
ちょうど、オーストリアのインスブルッグからの学生20名程に授業をしている最中であったが快く招き入れてくださり、授業風景を見学させてくれた。
インスブルッグからの学生は東南アジアスタディツアーで来ており、ベトナム・マレーシア・タイ・シンガポールで、それぞれ講義を受けつつ、現地事情を学んでいるとのこと。興味をひかれる有意義なプログラムに思われる。

バイク駐輪場大学構内には、いたるところに駐輪(バイク)場がある。
実に整然と並べられている。ほとんどの学生がバイクで通学しているという。
「事故はどうですか」と聞くと、
「それはしょっちゅう。頭の痛い問題だが、地下鉄などが整備されていない現状では仕方がない」とのこと。

勉強する学生

吹抜けの広場には椅子・机が用意され、そこで学生達が熱心に勉強をしている。
ここ国立社会科学人文大学は、文系ではベトナムで入学するのが最も難しい大学である。


試験結果

同じ広場の壁には入学試験の結果が貼りだされていた。
貼付された直後は、悲喜こもごもの風景が展開されたであろう。


テキスト販売

 新学期が始まったばかりのこの時期、同じ広場では教科書等が売り出されていた。


表敬訪問 学長と懇談  キャンパスツアーを終え、ホーチミン像が鎮座する部屋に案内され、学長および国際交流にかかわる教授を交え懇談がはじまる。

 本学は、この大学の全面的協力のもと、10日間のベトナム研修を行っているが、学生のレポートにあるように参加する学生にも好評である。(下記※印参照)
 一昨年は学長が本学で、今年は本学ブイ教授がこの大学でゲスト講演をするなどスタッフ間の交流もはじまっている。

紀要より抜粋

プレゼント交換  お互いの大学の信頼関係を強め、互恵の精神でできることから様々な形で国流を広げていこうという思いを共有した良い懇談であった。
 その後、プレゼント交換が終わると、サイゴン川沿いのレストランで懇親。
 姉妹大学の細心の気遣いと心温まるホスピタリティに感謝の念を抱きつつ表敬訪問を終える。


 翌日、ホーチミン市を歩いて視察することとする。
 ベトナムは平均年齢が25歳の若い国である。面積は九州を除く日本と同じ。南北に細長く人口約8600万人。ベトナム戦争終結後、人口は増え続け、今も毎年100万人単位で増加している。
 ホーチミン市はベトナム最大の都市で、ベトナムの中でも一番に人口が急増しており、昨晩の懇親会での学長の話によれば、「今でも、人口は実質1000万人は越えている。サイゴン川の川向には、今はスラムだが開発が始まっており、まだまだ増えるだろう」さらに、「大学生人口急増も予想される中、大学教員の数が不足しているのが最大の私の悩みだ」と、18歳人口減が続く日本の大学事情とは好対照の悩みである。

 ホーチミン市で通りを横切るのは至難の業である。
 最初、道路を横切ることができず立ち往生をしていると、親切な現地の人が一緒に渡ってくれる。そうこうしているうちに習うより慣れろ。ゆっくり一定の速度で歩いていけば、バイクの方がよけてくることがわかり、それからは持ち前の健脚で歩き回ることができた。

道路を横切る道路を横切る道路を横切る

戦争証跡博物館 飛行機  「戦争証跡博物館」
 ベトナム戦争の歴史が、外には当時実際に使われた飛行機などにより、館内に入るとピュリッツアー賞を受賞した故沢田教一氏の写真をはじめとする生々しい戦争の証跡により展示してある。

旧大統領官邸旧大統領官邸 庭

「統一会党」
南ベトナム政権時代の旧大統領官邸
1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸の鉄柵を突破して無血入城を果たし、事実上ベトナム戦争は終結した。その時の戦車が庭に展示してある。

市人民委員会庁舎  「市人民委員会庁舎」
 ホーチミン市は州と同格の都市であり、日本でいえば県庁にあたる庁舎である。1908年、フランス統治下に建てられた建造物である。

 この他、フランス風の建造物として「サイゴン大教会」や「中央郵便局」などを見てまわる。
 途中、屋台などがアジアらしい雰囲気を醸し出している。

屋台屋台量り売り

 ホーチミン市は、大都会ならどこでもそうであるように、スリやひったくりや置き引きなどはあるようだが、通りを横切るのを手伝ってくれる人がいたり、レストランやショップで働く人たちもきびきびしており、バイクやクラクションの喧騒と混濁した明るさと活力に満ちた街に感じられた。

ベトナムのお好み焼き 夜はブイ教授と食事をする。ベトナムのお好み焼き専門店に案内してくれた。大きなお好み焼きは、一口サイズにして色々な種類の香辛料をお好みでつけ、色々な種類の葉っぱをお好みで選び、それに盛り包み食べる。

 ブイ教授によれば、魚料理も肉料理も、大体食べ方は同じとのこと。
 葉っぱと香辛料のせいなのか、ベトナム人で肥満の人はほとんど見かけることはなかった。


 翌日飛行機でハノイに入る。
 首都であるだけに商都ホーチミン市より落ち着きがあり、車の数も多い。とはいえ、バイクが多くクラクションの喧騒は相変わらずである。
 到着した日は、お日柄がよいのか、ハノイの中心にあるホアンキエム湖沿いの公園には新婚カップルの写真撮影があちらこちらでされていた。

結婚式カップル結婚式カップル結婚式カップル

 あの悲惨なベトナム戦争が終結して30有余年、今の活力に満ちた国の象徴に思われた。

 その夜は日本大使館に日本から参加する学長が招かれ、レセプションが行われる。
 レセプションでは坂場大使、文部科学省 加藤審議官が挨拶をする。レセプション会場では今回の会議の大学としてのとりまとめをしている京都大学の森教授と懇談。
 明日からの会議が両国政府主導であることをあらためて感ずる。

坂場大使加藤審議官森教授と懇談

 9月17日から2日間続いた第1回日越学長会議には、日本から49大学が参加した。

学長会議学長会議風景学長会議風景

 東海地方からは、名古屋大学、名古屋工業大学、豊橋科学技術大学、三重大学、愛知学院大学と本学の6大学である。

 2日間にわたる会議を通じて、ベトナムの立場は次のように要約できよう。
 『人口の6割が30歳以下のベトナムは、科挙の歴史があり、成人識字率94%、数学五輪第3位、世界ロボットコンテストに3度優勝と「若くて、勤勉、魅力的な人材」が多い。
 日本とは大乗仏教、儒教、道教を共有、東遊運動の歴史もある「親日国」である。
 日本語学習者は3年間で2倍の6万人、日本への留学生も3年間で1.6倍となっており、日本語学習熱の高まりを見せている。
 日本語学習者へ日本への留学の道を広げ、ひいては日本での経験を生かし市場経済を担える人材の育成を願っており、この第1回日越学長会議がその嚆矢となることを願う。』
 日本側としては、こうした願いは、留学生30万人計画、あるいはアジア重視の政策からも受け入れられるものであり、各大学の実情に応じて協力していこうという立場である。

交流協定調印式 こうした流れの中、会議の最後に6つの交流協定調印式が両国文部科学省の高官立ち会いのもと壇上で行なわれた。そのうちの1校が名古屋大学である。

 本学にも3つの大学から交流協定のオファーがあったが、受け入れだけではなく、互恵という観点からの交換のイメージがはっきりしなかったので、今回は見送ることとした。
 しかし、ベトナムが魅力的な国であり、学生も優秀である。現在の姉妹大学、国立社会科学人文大学との交流の実績を積み重ねることから広げていきたい。


 ベトナム最終日、飛行機の出発時間が深夜なので、郊外の農村とお寺(香寺)を訪れることとする。
 ベトナムはタイに続く世界第2位の米の輸出国。ちょうど収穫シーズン、道路上で脱穀作業を行っている。
 寺へ向かう川には水生植物の近くに張った網を引き上げる漁師さんがいる。主な水生植物は蓮や睡蓮とのこと。
 生活はきびしいであろうが、のどかな風景である。

脱穀作業船漁師

 私が40年ほど前、アメリカで留学生活を送っていた頃、大学構内ではベトナム戦争反対のデモ、ヒッピー文化で溢れていた。
 アメリカにとって抜き差しならぬ泥沼戦争となっていた。
 しかし、ベトナムではさらに深刻で悲惨な泥沼状態であったのだ。
 そのことは戦争証跡博物館で実感した。

蓮の花 ベトナムには国花の定めはないが、ベトナム航空のロゴが蓮の花であるように、蓮は単に観賞用だけでなく、お茶として食用として様々の部分が日常的に使われている。
 「蓮は泥より出でて、泥に染まらず」ということわざがある。
 寺に向かう川に浮かぶ蓮は、泥沼の歴史を乗り越え、活力に満ちた今のベトナムの象徴であるように思われた。やがて大輪の花を咲かせることを祈り、帰路に着く。