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早稲田マンに支えられて

 稲門教育会会報への原稿依頼を受け、私自身は慶應出身なのでいささかとまどう。が、7年前他界した父が早稲田出身で、早稲田をこよなく愛し、稲門教育会に長年かかわっていたことから、と思い、喜んでお引き受けした。
 父が早稲田なのに何故慶應とよく聞かれる。答は単純明快。「父が早稲田だから慶應にした」というだけである。青臭い親への抵抗の結果だ。父への反発から慶應出身となったわけだが、今、次のように早稲田マンに支えられて父の仕事を継いでいる。
 まず、石川校長。日本史の先生だが、頭の回転がよすぎて、思わず年号を百年単位で言い間違える。これは英語の先生がスペリング間違いをするのと同様に致命的のはずだ。が、校長先生は生徒も許す。それどころか今の教職員・生徒だけでなく、かつての教え子からも絶大の信頼がある。肝心のところははずすことがないからだ。真に細かいことにこだわらない太っ腹の早稲田マン。中学・高校を安心してお任せできるからこそ、私は大学運営に専念できるのだといつも感謝している。
 安藤常任理事。愛知県庁時代は無敵のギャンブラー(麻雀)。昼休みに、アフターファイブに卓をかこむ。おまけに酒は飲まないのにスナックのカラオケスター。短大の局長にお迎えしてからもそのスタイルは変わらず。局長室で煙草をふかし、教職員とゆったりとコミュニケーションの毎日。が、仕事は速くて正確。短大の新学科、教員の定年制の75才から65才への引き下げなどは、安藤さんの人柄と事務能力がなければなしえなかった。仕事をしないふりをしつつ、実は仕事師。正に野人の早稲田マンである。
 都築副学長。早稲田の学生のとき郷土の文士尾崎士郎の家に押しかけ下宿をし、青雲の志をもち文士を目指す。が、やがて、郷土の文学に関心をもち研究者として一家をなす。まったく外見を気にせず今も人生劇場さながらの郷土の雰囲気をもつ。先生が女子学生が多い国文学科の教授かと思うほどなのだが、あにはからんや結婚式に最も多く招かれる先生なのだ。今は、その人柄ゆえ、副学長室への人の出入りが絶えない。私には言いにくいことなどを、決しておこることなく誰彼なく聞いてくれる。そのお蔭で大学全体の雰囲気を見誤ることなく学長職ができるのだと心より感謝している。まさに包容力のある早稲田マンである。
 最後に私の心より敬愛する早稲田マンである亡き父小林素三郎。父は早稲田の学生時代に母と恋をしていた。その時つくられた次の詩から父の青春の輝きを思う。心あたたかい早稲田マンであった。

喜び
雨はやんで
太陽がまぶしいほど
紺碧の空が天をおおい
ぬれた青葉は
生き生きとしている
黒い大地に
かげろうがもえたち
真赤なつつじから
小鳥が立ったとき
地に落ちた一輪にも
喜びがあふれていた

(「愛知県稲門教育会報 第31号」巻頭言より)