式辞

平成29年度 入学式 学長式辞

 新入生の皆さん、本日の皆さんのご入学を心から歓迎いたします。おめでとう。ご臨席のご家族の皆さまにも深い祝意を申しあげます。また、お忙しい中、本日の晴れの式典にご臨席たまわった来賓の皆さまに、篤く御礼申しあげます。


 愛知淑徳大学は、愛知県下で長く古い伝統をもつ愛知淑徳学園の最高学府として、今年で創立43年目を迎えました。創立当初は国文学科と英文学科の二学科で編成された文学部一学部で出発しましたが、皆さんをお迎えした現在では、九つの学部と五つの大学院研究科を擁する県下有数の総合大学になっております。こうした発展を内部から支え続けた本学の教育は、ひとつの明確な理念で貫かれています。それは「違いを共に生きる」という考え方です。


 男女の「違い」のみならず、年齢、国籍、文化、言語、身体の障がいの有無といった「違い」を乗り超えて、自分とは異なるものの存在をお互いにフェアに認め合い、それぞれがこの世に存在する意味や価値を深く理解していくこと、さらにその深い理解によって「違い」をもつ者同士が協力し合い、価値ある人生や豊かな社会を築き上げていくこと――これが皆さんへの教育を通して、本学が高く掲げつづける理念ということになります。この理念、考え方は、これから長い歳月を生きていく皆さん自身が、聡明で知恵にあふれた価値ある人生を切り開くための糧になるはずですし、ひいては様々な「違い」の中の一人に過ぎない自分自身の存在を確かなものとすることになるはずです。さらに、「違いを共に生きること」は、皆さん自身やその身辺だけにとどまらず、遠い将来にわたって国境を越えた地球規模の人間が共に生き、共に繁栄していくための不可欠な知恵と技術を育てることにもなるはずです。


 これからの4年間で、皆さんには、この「違いを共に生きる」という大学の理念を意識的に身につけて行ってほしいと願います。「違いを共に生きる」ための基本的な力を、皆さんはどのようにして身につけるか。それは、高いコミュニケーション能力を皆さん自身の中に育てあげることだろうと思います。本来のコミュニケーション能力は、社交的であるとかないとか、口べたであるとか、話好きであるとか、あるいは人見知りをするとかしないとか、そういった生まれつきの性格や気性とはまったく異なるものです。それは絶えず意識しながら、努力し、学びを積み上げて、育てる知恵や技術のことです。


 本学には外国人留学生たちに日本語教育を行う留学生別科という組織があります。主として本学と提携を結んだアジア、アメリカ、ヨーロッパの様々な国の大学から、皆さんとほぼ同世代の学生たちが、長久手の留学生会館に寄宿しながら、日本語、日本文化を学んでいます。私はその入学式や修了式には必ず出向きますが、たまたま昨年の入学式でドイツから来た女子学生を見かけました。留学生の中でドイツ人は彼女ひとりだけでしたから、私は本学に日本語や日本の生活文化に通暁したドイツ人の教授がいることを教え、何か困ったことがあったら、その先生の研究室を訪ねなさい、とアドバイスしました。


 後日、そのドイツ人教授に、あなたの国の留学生は研究室に来ましたか、と尋ねると、先生は、いいえ、来ませんでした、おそらく彼女は来ないと思います、と言いました。どうしてそう思うのですか、と私が問い返すと、ドイツ人には、自分で選択した境遇であれば、たとえどんなに孤立して淋しい思いをしても、人に頼らず、独りでやり抜こうとする国民性がありますから、と先生は言ったのです。


 なるほど、と私は思いました。私の知る範囲では、外国の異文化の中で暮らす日本人や中国人といったアジアの人間は親しいコミュニティーを作って、交流し、互いに助け合う気質や習慣があります。アメリカやカナダのチャイナタウン、日本でも神戸や横浜の中華街、あるいはブラジルやハワイの日本人コミュニティーなどは、その典型的な例だろうと思います。しかし、どうもドイツの人は必ずしもそうではないらしいのです。これを自立心に富み、意志が強く立派だということも出来ますし、人間のぬくもりを欠いた、水くさい振る舞いではないか、ということも出来ます。反対に、日本人や中国人はすぐに群れを作りたがって、自立して生きるという強さに欠けるということも出来ます。


 しかし、そういう簡単で安易な判断や意味づけを決してしない、という姿勢こそが「違いを共に生きる」ことの第一歩だろうと私は思います。国民性や気質はその国の風土や歴史や社会、さらに生活文化が長い歳月をかけて育てあげた産物です。ドイツにはドイツ独自の風土と歴史と社会と生活文化があります。日本にも中国にもそれぞれ独自のものがある。留学生の一件は、事としてはささやかなものですが、そこには、こういう大きな違いが潜んでいるはずです。ですから、私たちは、まずこの違いをフェアに受けとめ、その存在を認め合い、学ぶことを通して知的に理解をする努力が必要になります。しかし、ただ頭で理解しているだけでなく、実際にその異文化を生きている相手とコミュニケーションを交わすことが有効な方法といえます。人間同士のほんとうの共感はそこから生まれるからです。


 大学では、皆さんに、こうしたコミュニケーションの方法と技術やその示唆になることを様々な形で学んでもらいますが、皆さんは皆さんで、その能力をみずから努力して積極的に高めてもらいたいと願います。専攻する領域が医療系であっても、福祉系であっても、経済商学系、文学系、教育系であっても、基本は同じです。皆さんのまわりには、外国や外国人という分かりやすい異文化だけでなく、微妙な違いをもった、それゆえに理解しにくい存在や現象にあふれています。そうしたもろもろを真に理解し、それらと共存し、また共感し合うために、まずその相手や対象と生き生きとしたコミュニケーションを交わす能力を育ててください。本学が力を注ぐボランティア活動を通して、障がいをもった人々や地域の様々な人々や子どもたちと交流することも、あるいは企業インターンシップを通して最前線で働くプロの人々と共に働くことも、生きたコミュニケーションなのです。


 これからの4年間、まずは大学の講義やゼミを通して、確実な専門知識や技術を豊かに身につけることに専心してもらいたいと思います。同時に、自分とは異なる文化や人間の抱える様々な違いに対する、深い想像力や共感や理解の力、そして、その相手と生きたコミュニケーションを交わす能力を育ててください。大学の4年間は、そういう学びに没頭できる特権的な人生の時間であるといえます。大いに学び、精神的にたっぷりと充実した学生生活を送ることを、皆さんに期待してやみません。

平成29年4月2日

愛知淑徳大学 学長 島田修三