式辞

2024年度(令和6年度)入学式 学長式辞

 新入生の皆さん、ご入学、おめでとう。皆さんの愛知淑徳大学への入学を心から歓迎いたします。ご臨席のご家族の皆さまにもお祝いを申しあげます。また、お忙しい中、本日の晴れの式典にご臨席たまわった来賓の皆さまに、篤く御礼申しあげます。

 本学の母胎となる愛知淑徳学園は明治三十八(一九〇五)年に創立され、本年度に百二十周年という節目の時を迎えます。大学は昭和五十(一九七五)年に開設されましたが、同じく本年度に五十周年の節目を迎えることになります。学園、大学が長い歳月と伝統を積み重ねて来た記念すべき年に、本学は皆さんを新入生として迎えるわけです。おそらく、今日の式典はいつまでも私の記憶に残ることになるでしょう。

 さて、本学を知る上で、もっとも大切なことをお話しします。それは大学の理念です。大学の理念とは、愛知淑徳大学の教育を支える基本的な姿勢であり、考え方だといえます。それは「違いを共に生きる」という姿勢であり、考え方です。人間社会は夥しい「違い」に満ちています。男女の「違い」などはその典型的なものです。男女の「違い」のみならず、年齢、民族、国籍、文化、言語、心身の障がいの有無といった社会や人間相互のさまざまな「違い」、つまり自分とは異なるものの存在、異なる考え方をお互いにフェアに認め合うこと、そして、それぞれがこの世に存在する意味や価値を深く理解していくこと、この考え方こそが本学の高く掲げる「違いを共に生きる」という理念といえます。

 皆さんが愛知淑徳大学のそれぞれの学部、学科、専攻を選び、入学試験の関門を越えて本学に入学された目的は、まず学びたい学問領域、身につけたい専門技術、あるいは獲得したい資格や免許があるからですね。皆さんが本気で取り組めば、本学の教授陣やカリキュラムは皆さんの強い向学心や熱意に必ず応え得るだろう、と私は確信しております。また、それこそが大学教育に携わる私どもの、皆さんに対する責任でもあり、義務でもあり、同時に歓びでもあるわけです。

 実はこうした専門教育の「学び」の中で、「違いを共に生きる」という考え方は強い力を発揮するものと私は思っております。どのように専門性の高い分野であろうとも、教科書やデータだけでなく、現実を生きるさまざまな人間、自分とは異なる他者との対話やコミュニケーションが必要となります。忍耐強い対話や柔軟なコミュニケーションを通して、専門的な学びはきっとリアルに深まるはずです。例えば、心理学や文学や言語学、あるいは情報学や言語聴覚学、社会福祉学などの「学び」は、その成果や意味が他者に認められ、理解を得られなければ、単なる一人合点に終わってしまう。だからこそ、心のどこかに、「違い」を認識し、理解し合うという姿勢を常に用意していてほしいのです。

 別の観点から申しますと、大学は、自分とは「異なるもの」「違うもの」との対話やコミュニケーションへの糸口や、その技術や勘を獲得するための示唆が豊富に用意された教育機関ということもできます。皆さんのごく身近なところにも「違い」が満ちているでしょう。例えば、親しいと思っている友人も、厳密には、皆さん自身とはまったく違った人格や心、生活習慣や趣味をもって生きている他者です。この「違い」を認め、理解することから友情は始まりますね。

 友人という身近な他者から、最終的には、人間そのもの、社会そのものを対話やコミュニケーションを通して理解しようとすること、外国や歴史という異なる文化や異なる時間の存在を理解しようとすること、少なくとも自分とは「異なるもの」として、多くの存在や現象があることに気づくこと、これが対話やコミュニケーションの糸口といえます。その糸口へと皆さんを導くのが大学であり、そこから本格的な「学び」が始まって行くはずです。

 「違いを共に生きる」姿勢を身に着けていく時間の中で、人間の抱く喜びや苦しみや悩みや怒りなど、さまざまな心の動きへの深い想像力や共感の力もおのずから備わってくるでしょう。大学の四年間は、そういう「気づき」や「学び」に専念できる特権的な人生の時間であるともいえます。大いに励み、学び、遊び、そして精神的にも感情的にも豊かな学生生活となることを、皆さんに期待してやみません。

令和六年四月二日

愛知淑徳大学 学長 島田修三