式辞

令和4年度卒業式 卒業生に贈ることば

学長の島田です。卒業生の皆さん、本日はおめでとう。心から皆さんの門出の日をお祝いしたいと思います。いうまでもなく、この三年間にわたる新型コロナ・ウイルスの世界的な蔓延は、皆さんの貴重な大学生活にも、重たく暗い影を落とし続けました。皆さんが大学生活の一年目を終えるころから、本来ならば、最も充実した時期となる三年生に至るまで、対面授業はほとんどなくなり、図書館にも利用制限が設けられ、クラブやサークルも活動を大きく制限されました。キャンパス内での活気にあふれた会話も憚られるようになりました。教員やクラスの友人との対話や議論、さまざまな交流を通して深まるはずの大切な機会が奪われてしまったわけです。

そういう状況の中で、急遽、オンライン授業が始まりましたが、私ども教職員が懸念していた混乱もなく、皆さんは全く新しい教育環境を静かに受け入れてくれました。皆さんの整然として、落ち着いた現実適応力に、学長として私は安堵し、心から嬉しく思いました。とにかく、よく耐えて、柔軟に適応し、今日の佳き日を迎えてくれました。ほんとうにおめでとう。そして、学生たちの忍耐強い努力の日々を支えてくださった保護者の皆さまにも、感謝と祝意を申し上げます。また、ご多忙のなかを本日の式典にご参列たまわった来賓の皆さまに深く感謝申し上げます。

さて、新型コロナ・ウイルスの問題もどうやら鎮静化してきたようですが、その間にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始、もう一年以上も激しい戦闘が続いております。両国の背後には利害を共有したり、敵対したりする複数の国家が控えており、核兵器の使用の危惧だけではなく、あるいは第三次世界大戦の契機となるのではないかという恐れさえあります。この戦いは世界の政治や経済にも強い影響を与え、日本社会にも不安な動きをもたらしているといえます。とりわけ経済的な動揺は大きく、日本の先行きに心細い思いを抱く皆さんも多いだろうと思われます。

これから、ほとんどの皆さんは実社会という新しい世界に旅立って行きます。どうやら、皆さんが新人として参加する日本社会の現実は、むろん世界の現実もそうでしょうが、今のところ豊かで安定した未来像を描けないでいるようにも思えます。私は学長とはいっても、一介の日本文学研究者に過ぎません。皆さんに、新しい社会科学的な観点から見通した、あるべき政治経済や社会の未来像を示すことは出来ません。ですから、これまでも皆さんの先輩にして来たように、新しい世界へ旅立つ皆さんに、私の知る限りの文学の言葉をはなむけの言葉として贈りたいと思います。文学の力は、現実の前には微力なものかも知れませんが、ほんの少しでも皆さんへの生きる指針や励ましになれば、こんなに嬉しいことはありません。

もう十五年以上も前に故人となりましたが、茨木のり子という優れた詩人がおりました。
私は、日々の生活に疲れ果てたとき、人との関係に胸を痛めたとき、どうにもならない不安や悲しみに襲われたとき、必ず本棚から手に取って開く詩集や歌集が何冊かあります。その一冊に茨木のり子の詩集があります。これから紹介する詩は、彼女のすでに刊行された詩集には収録されなかった作品で、『茨木のり子集 言の葉』という詩と随筆を収めたアンソロジーの第三巻に拾われたものです。「一人は賑やか」というタイトルで、茨木さんの四十歳の頃の作品だと思います。ちょっと読んでみましょう。

  一人は賑やか       茨木のり子
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったら
だ だ だ だ だっと 堕落だ

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ

こういう詩です。難しい言葉はひとつも使われていませんが、言外に湛えられた余情には深々としたものが感じられます。一人でいるときが賑やかである、というのは何かひねった逆説のようでもありますが、おそらく孤独が何の苦痛や不安でもなく、むしろ心が豊かで華やいだ状態だ、と茨木さんはいっているのでしょう。あるいは、人と離れて、一人でいるときを生活の中で、もっとも充実した華やいだ時間にしたいものだ、といっているのかも知れません。そのうえで、同じように孤独を豊かに楽しんでいる人が恋人だったらどんなにいいことか、と歌っているわけです。

ルネッサンス芸術を代表するレオナルド・ダ・ビンチが、彼の工房で働くことを希望する若者に必ず尋ねた問いがあるそうです――君は孤独に耐えられるかい?――創作や表現というものはたった一人でしか出来ない、誰の助けも借りることはできない、その真剣な覚悟はあるのか、と芸術家志望の若者たちに訊いたのでしょう。これは別に芸術家だけの問題とも私には思えません。組織や集団のような大勢の人々の真っただ中にいて、たとえ協力し合いながら仕事をしていても、人は必ず孤独にならざるを得ない場合があります。否応なく孤独に追いつめられることもある。そんなときに「一人でいるのは賑やかだ 誓って負けおしみなんかじゃない」といえる自信と修練を培っておくことが、どんなに大切なことか。ダ・ビンチのいう「孤独に耐えられる」段階にとどまらず、「孤独を賑やかに楽しめる」心の状態を茨木さんはいっているのでしょう。

もう一度、茨木さんの詩を読みます。

  一人は賑やか       茨木のり子
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったら
だ だ だ だ だっと 堕落だ

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ

どうか皆さん、卒業式のときに学長が茨木のり子の「一人は賑やか」という詩について語っていたな、と心のかたすみで、時おり思い出してください。特に深い孤独を感じたとき、この短い詩を思い出して、自身の糧にしてもらえれば幸いです。

以上を私の皆さんへのはなむけの言葉といたします。どうか、これからの新しい人生を孤独になることなど恐れず、力強く積極的に切り開いて行ってください。

令和5年3月17日

学長 島田 修三