式辞

平成28年度 卒業式 学長式辞

 皆さん、ご卒業、おめでとうございます。4年前には、まだ少年少女の面影を残していた皆さんが、それぞれ落ち着いた大人の面持ちで、本日の晴れの日を迎えました。4年間の学びの歳月は、まだ少年少女の面影の残る皆さんを実社会に出で立つ、頼もしい姿に変貌させたといえます。この日を迎えた皆さんに、私は心からの祝福を贈りたいと思います。同時に、皆さんの大学生活を物心両面から、しっかりと支えて下さったご家族の方々にも深い感謝と敬意の念を表したいと思います。また、お忙しい中、本日の晴れの式典にご臨席たまわった来賓の皆さまに、篤く御礼申しあげます。


 これから皆さんに、私からのささやかな「はなむけの言葉」を贈りたいと思います。私には、困ったとき、行き詰まったと思うとき、落ち込んでしまったとき、おのずから手にする本が何冊かあります。映像作品や音楽ではなく、文字を追わなければならぬ本です。本の文字を読むということは、その本の著者との対話でもあります。私自身が納得しなければ、先へは進めません。私の年齢になると、知識や情報の量や新しさというより、その本を書いた人の人間や人生や時代社会に対する姿勢の確かさ、認識や智慧の深さが気になります。そういう意味で、これから触れる小林秀雄という人の書いたものは、おおよそが納得できる。文字を追いながら、この人と行きつ戻りつの対話をし、そうだ、そのとおりだ、と今も膝を打つことが多いのです。


 かつて小林秀雄という人は一世を風靡した求心力のある批評家だったと思いますが、現在では、時代の記憶から遠ざかった遥かな故人となりました。しかし、彼の言葉や考えは少しも古びておりません。いつ読んでも新たに教えられます。これから私が皆さんに紹介する小林秀雄の言葉は、実は、数年前に皆さんの先輩たちの卒業式でも触れたことがあるものです。難解ではあるかも知れませんが、実に含蓄の深いものです。一回だけでは惜しいと思えるものですから、もう一度、後輩の皆さんにも紹介し、これを「はなむけの言葉」としたいと思い立ちました。


 今から半世紀以上も前になりますが、昭和三十五年に書かれた「無私の精神」という文章で、小林秀雄は次のように述べております。「無私」というのは、私が無いこと、つまり自分の私心やエゴを消し去る、という意味での「無私」です。小林はこう述べます。

実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重してゐるものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い経験や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。

 要するに、実社会で行動力を発揮して、優れた実績をあげる人には、「私」つまり自分自身へのこだわりやエゴ、私心がないと述べているのです。逆に「私」にこだわる人、私の知識や経験、あるいはプライドや自信にこだわる人は、たとえ行動したところで、まともな実績は挙げられないだろう、というのです。なぜだろうか――。何か現実的な達成を目的とする行動には、必ず相手があり、人間関係をともないます。目的達成のために共に行動してもらいたい人を、必死で説得しなければならないこともあります。その時に「私」へのこだわりは他人を説得し、動かす力とはならない場合が多い。というよりも、むしろ邪魔になります。

 人を説得できる力は、現実がどのように動いて行くのか、どのような新しい変化を見せているのか、ということに対する正確な認識だけだ、と小林秀雄は述べているわけです。「俺はこう考える」、「私はこれが正しいと信じる」と主張することよりも、「客観的なデータや情報によれば、どうも現実はこのように動き始めている。だから、昨日までの考えをきっぱり捨てて、私たちはこう動いて行こう」と提案できる姿勢がなければ、いかなる行動も決して実現には至らないと小林秀雄は断言しているわけです。

 皆さんの多くは、これから社会の最前線の実務にたずさわっていくことと思います。実務で勝負の決まる社会は実行力のある人間、どんなに些細なものであっても、目的を達成できる粘り強い行動力のある人間を求めているはずです。さらに、さまざまな生活文化のもとに育ってきた性格や個性や能力の違いを持つ仲間と、力を合わせて行動できる人間が欲しいのです。新しい商品や製品の企画を実現すること、今まで誰も考えていなかったマーケットの開発を提案し実現すること、職場を活性化する気持ちのいい勤務システムを提案すること――皆さんには、大小さまざまな課題が待ち受けているはずです。そんなときに、小さな「私」にこだわっている限り、その実現はおぼつかないことになります。

 「私」や職場や仕事を取り巻く現実がどう動いているのか、どう変わろうとしているのか、その一点を見逃さないことに、「私」へのこだわりを捨てて、知的な努力を重ねてください。そして、それを、職場の仲間が納得し、ともに行動してみようと思う所まで客観的に練り上げることに心を注いでください。もう一度、小林秀雄の言葉を読みます。

 実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重してゐるものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い経験や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。

 「物の動きに順じて自己を日に新たにする」それが「一種の無私の精神である」という末尾の一節には、実行はなかなか困難ではありましょうが、深く爽やかな智慧と真実がこもっていると私は思います。長く読み続けた小林秀雄の言葉を借りて、「無私の精神」ということを、旅立ちの日を迎えた皆さんへの「はなむけの言葉」といたします。

平成29年3月17日

学長 島田修三