成長

2013年03月20日

教員志望から一転、ベンチャービジネスの道へ。若くても女性でも活躍できるステージがここにある。

vol.11

文学部 国文学科 OG

学習塾の教室長から居酒屋の店長に。それが第一の転機。

私が勤務している株式会社ジー・エデュケーションの母体は、株式会社ジー・コミュニケーションです。もともと「がんばる学園」という学習塾から出発した会社で、私が入社した平成12年当時は、中部地区を中心に学習塾を200校舎展開していました。入社式も、学校用の生徒机と椅子で行なうといった小規模な教育産業でした。
学生時代の私の目標は、教師です。ゼミの阿部一彦先生に大学院への進学を勧められ、進学か就職かで迷った時期もありましたが、でも社会に出ようと決心し、就職活動を始めました。ところが、その当時は超氷河期といわれるほど、就職が難しい時期でした。ありとあらゆる学習塾を受験しましたが、全滅。最後に私を拾ってくれたのが、がんばる学園でした(笑)。

入社後、私が教室長として配属されたのは、豊明校舎でした。主な業務は講師と塾の運営・管理です。教師を目指していた私にとって、充実した日々でした。ところが、第一の転機が訪れました。本社への人事移動です。それまで塾業務だけを担当していた私は、広報や求人など本社業務を担当するようになって初めて、こんなビジョンを持っている会社なんだと知ることができました。出来の悪い新入社員ですよね(笑)。でも、仕事をすればするほど、ベンチャー精神にあふれた会社であることに、魅力を感じました。若くても女性でも活躍できるステージがここにあると。
ちょうどそのころ、ジー・コミュニケーションは学習塾のノウハウを活かして外食産業に進出。「ハイカラヤ」という居酒屋のチェーン展開を開始した時期でした。総務のような仕事をしていた私も、出店するための物件探しのお手伝いをしていたのですが、やがて八事店の店長という辞令が下りました。学生時代、居酒屋でアルバイトをしたこともなかった私にとって晴天のへきれきでしたが、進取の気性にあふれたこの会社で頑張ってみようと思っていましたから、やってみるだけやろうと決心しました。本部からのサポートもあり、赤字だった八事店が黒字になりました。店長としての実績を認めてもらうことができました。教職志望だった私が180度方向転換したわけですが、私が描いたビジョンとまったく違ったところに、適性というものはあるものなのだと自分で感心したくらいです。

「共存共栄」を理念とするベンチャー企業。
風通しの良い企業体質に共感。

店長時代の実績が認められたからなのでしょう。再び、本社へ移動となり、さまざまな業務を経験した後、学習塾を統括するプランニング・マネージャーとして、企画全般を担当することになりました。内部向けのホームページを立ち上げたり、夏期講習などの企画を立案したり、教務職に近い仕事を2年間担当しました。楽しかったですよ。このプランニング・マネージャーとしての仕事が評価されたのだと思います。その後、社長室長として再び本社へ。このころになると、200校舎だった学習塾は1000校舎以上に増え、社員も倍々に増員するなど、まさに成長途上でした。人事考課や給与ソフトの導入など、会社のインフラを確立する時期に、社長直属でさまざまな仕事に携わることができました。

ジー・コミュニケーションは、まさにベンチャー企業です。毎月1回人事異動があり、社員専用のホームページで社長をはじめ全社員の給与も公開されます。役職は実績に応じて昇格や降格もあり、それに伴って給与もアップダウンします。しかし、そのアップダウンは実績に基づいていますから、全社員が納得をしているんですね。
会社の理念である「共存共栄」は、みんなで一緒に成長し、発展していこうというものです。本物の実力主義ですが、同時に風通しの良い企業体質に、私を含めて全社員が共感しているのだと思います。

キャッツカフェの社長就任が第二の転機。
アウエイな風がホームに変わったとき、仕事の喜びを実感。

 第二の転機は、皆さんご存知の「キャッツカフェ」の社長に就任したことです。ちょうど入社5年目の27歳のときでした。このころになると、ジー・コミュニケーションはフランチャイズのノウハウを活かして、M&Aをも手がけるようになりました。会社が激変していったのですね。私自身も社長室長としてキャッツカフェが吸収されてくることは知っていましたが、他人事でした。キャッツカフェの社長という辞令を受けた時は、まさに絶句です。何が起きたんだろうという感じでした。ただこのとき、入社式に社長が、「ここにいる皆さん全員に社長になっていただきます」という言葉を思い出しました。社長の信念と変わらぬことのない意志の強さを理解した瞬間でした。それからは無我夢中で社長職に飛び込んでいきました。

社長として単身キャッツカフェに出向した当初は、正直言ってアウエイでした。当然ですよね。まだ20代の女性が年上の旧経営陣を尻目に社長に就任したのですから。でも、そこのところは環境に臨機応変に順応していく性格が幸いしました。社長の指示に基づき、外食の基本である人件費やフード値を徹底的に見直していったところ、1カ月で黒字に転化しました。アウエイのような厳しい視線も、社員の皆さんと繰り返しコミュニケーションを図っていったところ、いつの間にかホームのような温かい感情が生まれていました。
社長に就任した期間は、わずか2年間ですが、今でもキャッツカフェの社員がとてもかわいいです。大きく成長してほしいと心底願っています。これこそ、私が望むM&Aの姿です。社長の理念である「共存共栄」なんですね。

私は今、古巣のジー・エデュケーションに戻り、英会話企画本部の本部長として、お茶の間留学のキャッチフレーズで有名な英会話スクール「NOVA」の再建に奔走しています。キャッツカフェ時代とは異なり、ジー・エデュケーションのスタッフ数名と仕事をしているのですが、でもM&Aへの取り組み方は同じです。いつかは、NOVAのスタッフの方々が、NOVAを運営できるというのが、私たちの望む形です。

生涯の友に出会った学生時代。
いい意味で良く遊んだ4年間が、世界観を広げてくれた。

もともと古文が好きで国文学科を選んだのですが、勉強一辺倒の学生時代ではありませんでした(笑)。大学の友達と青春18切符で九州へ旅行したり、ゼミ旅行で文楽を鑑賞したり...。もちろん、飲み会にも出かけましたし、恋愛もしました。いろいろな意味で4年間一生懸命生きたし、学生時代を全うしました。生涯の友と呼べる人に出会ったのも、学生時代です。世界観が大きく開けましたね。これから大学へ進学する人、大学で学んでいる人たちには、よく遊んでほしいと思います。いろいろな経験を積んでほしいとも思います。この充実した4年間こそ、次へのステップアップです。「良く遊び、良く遊べ」を実践していただきたいものですね。

2008年5月 取材