学生相談室長からのメッセージ

「承認格差」

 「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」というマンガがある。主人公は、食肉の冷蔵倉庫で積み下ろしのバイトで生活しているフリーターの青年・渡辺である。彼は自分の人生に行き詰りを感じ少しでも状況を変えようと自己啓発セミナーに参加していたが、ある出来事からそこが悪徳商法で自分が騙されていたことを知る。なんでこんなことを?自分が何か悪いことをしたのか?と混乱する渡辺に、その団体の人間は「頭。君が悪かったの 頭。」と言い放つ。それまでの渡辺は「人生が、始まってる気がしない。」と思ってそれをなんとか打開しようとしたのだが、実は「もうとっくに、終わってたんだ。」と思う。それでも「自分じゃなく、世界が間違っててくれればと期待してる頭の悪さ。」を自嘲する。ひょんなことから高学歴で育ちの良い女子大生・飯山と知り合い、彼女の卒業論文のテーマである「若年層の非正規雇用当事者」についての研究に調査対象者として協力することになる。飯山は行政と協力して非正規雇用者に対する生活支援のボランティアに参加していたり、アポロ計画について熱弁するような知的能力と社会的問題意識と行動力のある女性である。渡辺は飯山に恋心を抱くが、告白し付き合ってくださいと言うことは怖くて言えない。「もし、ダメだった時、全て消し飛ぶ。自分が、未来が、意味が、全て!!」と恐れおののき、しかし言えなかったことにいろいろ理屈をつけて自分を納得させようとする。「俺なんかじゃ飯山さんは、まったく揺れないとしたら・・・」と自分の存在についての空虚な無意味さのなかで必死に二人の気持ちがあれば育った環境なんて関係ないと自分を保とうとする。

 渡辺この後「この世は、ごく少数の者によって秘密裡に支配されてる」と唱える陰謀論者の団体「FACT東京S区第二支部」に取り込まれていくことになる。飯山がその支配者に騙されているのだと信じこみ、飯山を救おうと「FACT」の活動にのめり込んでいくのだが、彼はそこで「俺は今、確かに、自分の手で、自分の頭で、自分の意志で、進んでる!!」と初めての高揚感を体験する。その後の物語の結末は実際に読んで確かめていただくとして、このマンガについてサブカルチャー評論家の岡田斗司夫は「承認格差」という言葉で評している。非正規雇用の若者が抱える問題として、経済格差や社会的格差よりも、他者から承認されることについての格差が、大きな問題になっているというのである。他者から承認されている者は自尊感情を持ち、社会的に適切に行動できるために、ますます承認を得ていく。逆に承認されていない者は自尊感情が低く、その自尊感情を補償しようとして陰謀論にハマったり、社会的に不適切な行動を起こしてしまい、ますます承認を得られなくなってしまう。このような「承認格差」をうむ悪循環に苦しんでいる青年も少なくないような気がする。

 近年の就職活動事情をみても、社会は若者に「ハイスペック」を求める風潮が強くなっているようであるし、社会的承認と達成感を得ることはますます難しくなっているようだ。かといって、その補いとして居場所や親密な対人関係に依存することは、かえって悪循環を強めることにもなる。渡辺も結局は陰謀論にハマった理由は「飯山のため」であったわけなので、居場所と親密な対人関係の両方を手に入れようとした結果の悪循環と言えるだろう。

 社会的承認や達成感なしに生きていくことは難しい。それをどこかひとつ所だけから得ようとすると、その場所や人間関係に合わせた生き方になる。しかし人間は本来、もっと多様である。一人の人間のなかに、多様なあり方がある。その場所で生きていくために、そのなかの一つを選択しているのだから、別の場所で異なる人々に出会えば、別の自分に出会うこともある。居場所はひとつではない、ということ。人とつながるところをいくつか持っておくことは、承認格差の悪循環にハマらないための、生き方のデザインです。