式辞

平成31年度 入学式 学長式辞

 新入生の皆さん、ご入学、おめでとう。本日の皆さんのご入学を心から歓迎いたします。ご臨席のご家族の皆さまにもお祝いを申しあげます。また、ご多忙の中、本日の晴れの式典に、ご臨席たまわりましたご来賓の皆さまに篤く御礼申し上げます。


 本日、入学された皆さんのひとりひとりには、本学でどんなことを学びたいか、その学びを糧として、どんな人間として社会に立ちたいか、どんな職業人になりたいか、というさまざまな志があろうかと思います。例えば、この四年間で、本学の用意したカリキュラムによって教師、言語聴覚士、視能訓練士、社会福祉士、保育士、管理栄養士などの資格を取り、専門職に就きたい、という具体的な志をもつ人もいるでしょう。また、本学での学びを基礎知識として、国内にとどまらず国際的な仕事の最前線で働いてみたいと思っている人もいるでしょう。あるいは、今はまだ具体的な将来像は持っていないけれども、四年間の学びを通して、自分の就くべき職業、自分を生かすことの出来る道をじっくりと考えようと心に期している人もいるはずです。
 ただし、ここで今、皆さんが胸に抱いている志や希望は、ただ単に必要な授業単位を取って進級していくだけの受け味の姿勢では実現は難しいかも知れません。
皆さんが今まで通過してきた十二年間の初等・中等教育課程とは異なり、大学というところは、皆さん自身の主体的な学び、みずから進んで選び取っていく貪欲な学びが、最終的な結果を左右する高等教育機関です。皆さんの志や希望が将来において実現するかどうかは、ひとえに皆さんの学びに対する主体的な姿勢や努力、限りない向上心にかかっていると私は思います。そういう前向きな思いを抱いているすべての学生に対して、私たち教職員は全学をあげて期待に応えていきます。


 さて、本学には大学教育の骨格である「違いを共に生きる」という独自の理念があります。今日ここにいる皆さんには、それぞれ所属する学部・専攻があり、これから四年間、その学部・専攻の専門分野を学ぶわけですが、そうした学問的な専門性の枠を超えて、愛知淑徳大学の学生として、是非とも身につけてもらいたい人間としての教養・見識が「違いを共に生きる」という理念です。
 男女の「違い」のみならず、年齢、国籍、文化、民族、宗教、言語、身体上の障がいの有無といった「違い」を超えて、自分とは異なる多様な存在を、先入観や偏見を捨ててフェアに認め、それぞれがこの世に存在する意味や価値を人間的知性に基づいて深く解していくこと、これが本学の学部・専攻の枠組みを超えた教育理念ということになります。
 この高い壇上から、大上段にいきなり「違いを共に生きる」と学長の私がいってしまうと、皆さんは緊張して構えてしまうかも知れません。分かりやすい例を挙げ、噛み砕いた話を通して「違いを共に生きる」ことの意味を話してみましょう。


 当たり前のことですが、われわれ日本人は外から家に帰って来ると、玄関で靴などの履き物を脱いで、家に上がります。この習慣は日本の伝統的な生活文化であって、それに疑いをもつ人は皆さんの中にはほとんどいないでしょう。しかし、アメリカやヨーロッパにはそういう習慣はありません。ですから、例えば、日本の日常生活に関する知識や情報をほとんど持たないまま、初めて来日したアメリカ人やヨーロッパ人の場合、家に上がる時に靴を脱がねばならぬことにまず驚き、違和感を抱くだろうと思います。
 しかし、迎え入れるわれわれがこの習慣に欧米の人々が驚くことを予測して、なぜ靴を脱がねばならないのか、日本家屋での生活様式の一環として丁寧に説明してさえあげれば、彼らの驚きや違和感は収まるかも知れません。何故そんな生活習慣があるのか、彼らに理解してもらえれば、「違いを共に生きる」第一歩が始まるわけです。


 ところが、日本と欧米の間に見られるような、こういう大きな「違い」は案外、お互いに理解しやすいことなのでないか――。平田オリザという劇作家が、或るシンポジウムで、そう語った発言が印象に残っています。平田オリザは青年時代に韓国ソウルにある延世大学に公費留学した経験を持っていますが、留学先では韓国語もしっかりマスターし、韓国人の友人もたくさん出来たようです。
 先ほど触れた、家に上がるに際して靴を脱ぐという習慣は、実は韓国にもあります。その点で韓国と日本は家族同士のように似ている親しい東アジアの文化圏に属しているわけです。留学時代の平田オリザは、韓国の家庭に頻繁に招かれたり、遊びに行ったりしていたそうですが、日本式の礼儀作法に従って、常に玄関で脱いだ靴を反対側に向けて揃えていました。帰る際に、そのまま靴が履ける方向に揃えるわけです。自宅ではともかく、われわれは客として訪問した家では、玄関で靴の向きを反対向きに変えて、きちんと揃えるのが礼儀だと習慣的に考えています。


 ところが、韓国では靴の向きを変えて揃えるという行為は礼儀に反するらしい。平田オリザは留学中に自分が韓国でさんざんやって来た日本式の礼儀作法が、韓国ではどうやら無礼に当たるということを、留学から三十年ほど経った最近になってようやく知ったそうです。すぐ帰れるような方向に靴を揃えるということは、時間をかけて、ねんごろなもてなしをしようとしているホスト側に対して、礼儀を欠いた行為と見なされるそうです。要するに、靴を外に向けて揃えるのは、客として来たとたんに、そそくさと帰る準備をしていると解されてしまうわけです。


 留学中の平田オリザは、靴を脱いで家に上がるという日本と韓国の大きな共通性にすっかり安心し切って、靴を揃える時の韓国式のマナーまでは、つまり小さな「違い」にはまったく考えが及ばなかったようです。細かいことなので、韓国の友人たちも口やかまし小姑のように思われまいとして何も注意してくれなかったか、波風を立てるのを避けて見て見ぬふりをしてくれたのかも知れません。とにかく、遠来の客に細かいことまで注意するのは失礼だと思ったのかも知れません。その気づかいも日本人と似ています。


 平田によると、実は、こういう些末ともいえる、ほんの僅かな「違い」に対する誤解や食い違いが、意外に大きな反発や憎しみに膨れ上がることがあるのでないか、というのです。家族同様に親切にもてなそうとしているのに、いつまでも基本的な韓国の礼儀に気づこうともせずに、日本人はそそくさと帰ろうとして、いきなり靴を外向きに揃える。なんと無礼で無神経な連中だ、という思いが少しずつ植え込められ、ある日、国家や国民間に大きな問題やトラブルが起きた時、日ごろから少しずつ積もっていた、こういう苛立ちをきっかけとして、取返しのつかぬ大問題に発展することもあるのではないか、と平田は憂えるのです。これは逆に韓国の人に対する日本人の場合にもあることかと思います。


 あれだけ理解し合い、家族同様と見なしていた日本人留学生が、韓国の子供でも知っている基本的礼儀をわきまえていなかった、やっぱり本人は韓国を見下しているのではないか、と韓国の人々が思い込んでしまうことが怖い、自分もそう思われていたのではないか、という恐れを今さらながら感ずる、とも平田は語っていました。たかが靴をどっちに向けるかというような、生活文化、習慣上の小さな食い違いや誤解の蓄積が、大きな対立や諍いを助長することがある――そういう警告を平田オリザは語ってくれたわけです。


 大きな「違い」は目立つ分、すぐに気づきますから、互いに努力すれば、理解し乗り越えられることが多いと思います。しかし、大すじは同じような文化圏にあって、一見するとよく似た生活習慣を生きていると、日常生活上の、ほんのちょっとした小さな「違い」は、ほとんど話題にもされない場合が多々あります。しかし、当事者たちには少しずつストレスや悪い感情として溜まっていくこともあるのです。だからこそ、見かけも、生活文化も兄弟姉妹のように類似した東アジアの生活圏や文化圏における、ほんの僅かな「違い」を敏感に察知し、その理由や背景に関して、深く理解し合うことが大事なのだ、と平田オリザは強調しておりました。


 本学の掲げる「違いを共に生きる」という理念がどんなものなのか、どんな意義や価値をもつものなのか、どんな風に実践していけばいいのか、ということを劇作家平田オリザの具体的な逸話を借りて、わかりやすく皆さんに話してみました。「違いを共に生きる」ということは、実際の行為として考えると、非常に細やかな神経や柔らかな感受性、豊かな人間的な想像力を必要とします。そういう力を皆さんの中に育てる必要条件は、やはり広く深い学びです。専門の学問以外にも、本学は皆さんに「違いを共に生きる」という理念を学ぶためのカリキュラムやプログラムを豊富に用意しております。本日も全学共通科目としての「違いを共に生きる」のプロローグの授業が、担当副学長によって行われます。どうか、四年間をかけて、専門領域の学問の修得と同時に、「違いを共に生きる」いう理念を深く学び、人間の力として身につけてほしいと私は心から願います。
 「違いを共に生きる」とはどんなことなのか、本学の高く掲げる理念についてお話しすることをもって、皆さんへの歓迎の言葉といたします。どうか、今日から四年間、充実した大学生活を送ってください。

平成31年 4月2日

愛知淑徳大学 学長 島田修三