式辞

2023年度(令和5年度)卒業式 学長式辞

学長の島田です。卒業生の皆さん、本日はおめでとう。心から皆さんの門出の日をお祝いいたします。一昨年までの三年間、新型コロナ・ウィルスの世界的な蔓延が、皆さんの貴重な大学生活にも、重たく暗い影を落とし続けました。皆さんが大学生活を迎える早々、社会全体の制約と呼応するように、本学でも対面授業はほとんどなくなりました。図書館にも利用制限が設けられ、クラブやサークルも活動を大きく制限されました。キャンパス内での活気にあふれる会話も憚られるようになりました。教員やクラスの友人との対話や議論、さまざまな交流を通して深まるはずの大切な機会の多くが、入学当初にいきなり奪われてしまったわけです。

そういう状況の中で、急遽、オンライン授業が始まりましたが、私ども教職員が懸念していた混乱もなく、皆さんは新しい教育環境を静かに受け入れてくれました。皆さんの整然として、落ち着いた現実適応力に、学長として私は安堵し、心から嬉しく思いました。とにかく、よく耐え、よく柔軟に適応し、今日の喜ばしい日を迎えてくれました。ほんとうにありがとう。おめでとう。そして、学生たちの忍耐強い努力の日々を支えてくださった保護者の皆さまにも、感謝と祝意を申し上げたい思います。

新型コロナ・ウィルスの感染状況は昨年には一応の落ち着きを見せましたが、その間にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始、もう二年以上も激しい戦闘が続いております。両国の背後には利害を共有したり、敵対したりする複数の国家が控えており、核兵器の使用の危惧だけではなく、第三次世界大戦の契機となるのではないかという恐れさえあります。この戦いは世界の政治や経済にも強い影響を与え、日本社会にも不安な動きをもたらしているといえます。とりわけ経済的な動揺は大きく、日本の先行きに心細い思いを抱く皆さんも多いだろうと思われます。

世界的な大きな争乱はウクライナ戦だけにとどまらず、昨年八月には中東パレスチナのガザ地区では、市民を巻き込んだ容赦のないイスラエル軍の攻撃が始まりました。さらに東アジアでは中国と台湾との緊張関係も高まりつつあるという報道は絶えません。遠い対岸のようなウクライナやパレスチナばかりではなく、こちら側の岸でも不穏な政治状況が見え隠れしています。

これから、ほとんどの皆さんは実社会というきびしい世界に旅立って行きます。どうやら、皆さんが新人として参加する日本社会の現実は、むろん世界の現実もそうでしょうが、今の段階では豊かで安定した未来像を描けないでいるようにも思えます。私は学長とはいっても、一介の日本文学研究者に過ぎません。皆さんに、的確な社会科学的な観点から、あるべき政治経済や社会の未来像を示すことは出来ません。ですから、新しい世界へ旅立つ皆さんに、私が関心をもつ文学の言葉をはなむけの言葉として贈りたいと思います。文学の言葉の力は、過酷な現実の前には微力なものかも知れませんが、皆さんの記憶の片隅に残った言葉が、何かの瞬間によみがえり、その時どきの皆さんの生きる指針や励ましになれば、こんなに嬉しいことはありません。

日本の現代詩を代表するひとりに谷川俊太郎たにかわしゅんたろうという詩人がおります。皆さんの中にもこの詩人の作品を愛する人は、きっといることでしょう。私が皆さんに贈りたいと思った詩は『落首九十九』という詩集にある「うそとほんと」という作品です。「落首」というのは、江戸時代以前にあった匿名の戯れ歌、落書きの類の歌のことを言います。多くは政治や社会を風刺する内容の、リズミカルで軽い調子の韻文ですが、谷川の「うそとほんと」も、一読すると見逃してしまうような短く、軽い感じの作品です。ちょっと読んでみましょう。

  うそとほんと       谷川俊太郎
うそはほんとによく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは
双生児

うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは化合物

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ

これだけの詩です。難しい言葉はひとつも使われていない、というより、子供でもわかるような日常的な言葉しか使われていません。「落首」を装っていますからね。しかし、作品の含むところはなかなか深いものがあると私には思えます。私たちの周りにはおびただしい情報が溢れています。そうした大量の情報を絶えず私たちにもたらす最も一般化したツールは、スマホやタブレット、パソコンといったIT機器です。こうしたIT機器はもはや現代人の生活必需品であるかのような位置を占めているわけです。

さて、こういう大量情報にどのくらい「ほんと」が含まれているのか。あるいはまた、どのくらい「うそ」が混じりこんでいるのか。例えば、あの小さなスマホが国際政治から株価の変動、交通機関の切符入手、天気予報、あるいはタレントの私的情報に至るまで、とめどなく私たちに送って来る大量情報の真贋、つまり「ほんと」か「うそ」か、を見極められる人はほとんどいないでしょう。生成AIにいたっては、情報そのものを創りあげる機能をもっています。むろん、大量情報には「ほんと」もあれば、「うそ」もあるわけですが、とどのつまり、私たちは真贋の見分けのつかない情報にまみれて生きているといえます。まさに谷川俊太郎の詩のように「うそとほんとは双生児」であるかも知れないし、「うそとほんとは化合物」といってもいいかも知れない。

そういう困難な現代の問題に対して、谷川俊太郎の詩は、ひとつの簡潔な示唆を与えてくれていると私には思えます。

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ

多くの説明が省略された、実に簡潔すぎるくらいのフレーズですが、貴重な箴言、生きるためのアドバイスのように聞こえて来ませんか。「うそ」だといわれている情報から、むしろ「ほんと」を探し出すこと、逆に誰もが「ほんと」だと思い込んでいる情報に「うそ」を発見すること――。IT機器経由の情報だけにとどまらず、もっと基本的には、例えば、皆さんがこれから多くの人物を見定めなければならなくなった時、人生や職業上の岐路に立って、どれかを選ぶ決断を強いられた時、谷川俊太郎の詩のフレーズは、皆さんを立ち止まらせるくらいの力はあるのではないか、と私は思います。

もう一度、「うそとほんと」を読みます。

  うそとほんと       谷川俊太郎
うそはほんとによく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは
双生児

うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは化合物

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ

以上を私の皆さんへのはなむけの言葉といたします。どうか、卒業生の皆さん、これから始まる新しい人生を、力強く積極的に切り開いて行ってください。

令和6年3月18日

学長 島田 修三